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黄巾族が立ち、三英雄、義兄弟の契りを交わす

時は後漢の時代。霊帝(れいてい)が治める頃のこと。霊帝は政治を省みることなく、宦官(去勢を施された官吏)の好き勝手にされていた。

 

そんな折、様々な怪奇が起こるようになり、霊帝の顧問官である蔡よう(さいよう)が、
「帝が宦官を重用し、女性に溺れ政治を行なわない為です」
と申し出た。これを知った宦官の曹節(そうせつ)は蔡ように冤罪を着せて追放した。
その後、張譲(ちょうじょう)、趙忠(ちょうちゅう)、封しょ(ほうしょ)、段珪(だんけい)、曹節、侯覧(こうらん)、蹇碩(けんせき)、程曠(ていこう)、夏ツ(かうん)、郭勝(かくしょう)の宦官十名が徒党を組んで悪事を働き、「十常侍(じゅうじょうじ)」と名乗った。
帝は張譲を信頼しきって「父上」と呼ぶほどで、これにより政治は益々乱れ、天下の人民は苦しみを味わい、盗賊が各地に群がり起こるようになった。

 

その頃、張角(ちょうかく)、張宝(ちょうほう)、張梁(ちょうりょう)という三兄弟がいた。
ある日張角は山中で一人の老人と出会った。老人は南華老人(なんかろうじん)と名乗り、彼に書物三巻を授けると、
「これは太平要術というもの。そなたはこれを学び天下に広く教えを広めるように。もし悪事に使用するようなことがあれば、たちまち天罰が下ることであろう」
と言い、一陣の風と化して消え去った。
張角はこれより日夜習得に励み、ついに風を呼び雨を降らせる事が出来るようになった。
そして人民の間に疫病が流行した時、護符と神水を施して人々の病を癒した。張角を慕う人民は日に日に増し、ついに張角は謀反を起こし天下を取ることとした。
張角に従う者の数は四、五十万。頭を黄色い巾でくるみ、「黄巾族」と呼ばれた。黄巾族の勢いは凄まじく、官軍は戦わずして四散する始末だった。

 

さて、張角の一軍は進んで幽州(ゆうしゅう)の境を侵した。
幽州の責任者である劉焉(りゅうえん)は、義兵募集の高札を出し、兵を募った。その高札をみて一人溜息を吐く男子があった。大きな福耳に、膝に届かんばかりの長い腕の男である。
これぞもとは漢皇室の血筋である、姓は劉(りゅう)、名は備(び)、字(通称)は玄徳(げんとく)である。そこへ劉備に声をかける者があった。
「男一匹、国の為に働こうともしないで、溜息を吐くとは何事だ」
振り返ってみれば虎髭の男が立っている。
劉備が名を問うと、
「俺は姓は張(ちょう)、名は飛(ひ)、字は翼コ(よくとく)という者だ。常々天下の豪傑と付き合っていて、ちょうど今、お前が高札を見て溜息を吐いていたから声をかけたんだ」
「わたしは姓は劉、名は備、字は玄徳と申す者。黄巾族を倒し民を救いたいと思うものの、力が足らず、その為思わず溜息を漏らしたのです」
「それであれば、俺には金がある。人を募って、お前と俺で一旗揚げようじゃないか」
劉備は大変喜び、村の酒屋に張飛を誘って酒を酌み交わした。
そこへ一人の男が店を訪れた。赤黒い顔の、見るからに他者とは異なる品のある人物で、劉備はその人を自分の卓へ誘って名を問うと、
「それがし、姓は関(かん)、名は羽(う)、字は雲長(うんちょう)と申す者。この度この地で黄巾族討伐の兵を募っていると聞き、加わろうと参った次第でござる」
これを聞いて劉備と張飛も自分たちの志を打ち明ければ、関羽は大いに喜び、三人はすっかり打ち解けた。
そして翌日張飛の館にある桃園で、「生まれた日は別々でも、死ぬ時は共にあろう」と義兄弟の契りを交わし、劉備が長男、関羽が次男、張飛が弟とした。これがかの有名な「桃園の誓い」である。

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