三国志演義.com - やさしく読める三国志演義 -

董卓の屍上に蔡ようが泣き、李かくら長安に攻め上る

さて、李かく、郭、張済、樊稠は董卓が既に討たれ、呂布が攻めてくると聞いて、直ちに逃亡した。呂布は城に着くなり、まず貂蝉を引き取った。皇甫嵩は城内に捉えられていた女達を全て解放した。だが、董卓の親族は老若男女を問わずに誅殺した。
呂布たちは城内に蓄えられていた金銀財宝を没収すると都に持ち帰り、王允に結果を報告した。
王允は兵士らを大いにねぎらい、百官を呼び集め慶祝の酒を酌み交わした。
すると宴の途中に、
「董卓の屍の上に倒れこんで泣き叫んでいる者がいます」
と報告があった。怒った王允は、その者をひっ捕らえてくるように命じた。しばらくして捕らえられてきた者を見れば、驚いたことに蔡よう(さいよう)である。
「逆賊董卓が滅んだことを国中で喜んでいる時に、漢王朝の臣下でありながらこれを喜ばず、国賊のために涙を流すとは何事か」
と、王允が責めると、蔡ようは己の罪を認めて、
「国に背いて董卓の死を悼んだのではございません。ただ、一時の恩恵に預かった身として、思わず泣いてしまったものです。大それた罪であることは重々承知しております。この心中をご推察の上、罰を刺青と足斬りにお止め頂き、漢王朝の記録を書くことをもって罪を償わせていただければ、幸いと存じます」
百官も蔡ようの才能を惜しんで、王允に、
「蔡よう殿は世に並ぶことの無い博識の人です。もし漢史を書かせこれが完成すれば、一世の功労となるでしょう。しかも彼の孝行は世に知れ渡っていますから、今彼を殺せば人心が離れていくことになります」
と囁いた。しかし王允は、かつて考武皇帝(こうぶこうてい)が司馬遷(しばせん)を殺さずに史書を書かせたために後の世で誹謗されたことを持ち出し、蔡ようを死罪とした。
百官は、
「王允の一族は滅びるだろう。善人を滅ぼし礼儀をすてて生きながらえる道理があろうか」
と囁いた。

 

さて、李かく、郭、張済、樊稠の四人は使者を長安に遣わし、赦しを請う上奏文を送った。すると王允は、
「董卓が悪逆非道を極めたのは、この四人が助けた為。今天下に大赦を行なっているとはいえ、この四人だけは赦すわけにはならない」
と答えた。使者が帰ってこの旨を告げると、李かくが言った。
「許されぬとあれば、落ち延びるほかはあるまい」
すると幕僚の賈く(かく)が言う。
「もし皆様方が軍を棄てて身一つで逃げられるのであれば、容易く捕らえられるでしょう。それよりも軍勢を集め長安に攻め入り、董卓殿の仇を討とうではありませんか。もし敗れれば、その時逃げても遅くはありますまい」
李かくたちはこれに同意し、手勢を集めると、董卓の女婿である牛輔(ぎゅうほ)が舅の仇討ちをしようと合流した。そうして彼らは一路長安を目指して突き進んだ。