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呂布牛輔を蹴散らし、李かくら帝の御命を狙う

王允は李かくらが攻め上ると聞き、呂布と協議した。呂布は、
「王允殿、ご心配なさるな。奴ら如き蹴散らして見せましょう」
と、李粛と兵を率いて迎え討った。李粛が先陣を切ったところ、牛輔の軍と遭遇し、敗退させた。ところがその夜中、牛輔が李粛の油断に付け込んで夜討ちをかけたため、李粛は軍の大半を失い呂布の元に逃げ帰った。呂布は大いに怒り、
「貴様、われらの鋭気を挫くとは何事だ」
と罵ると、李粛を武士に斬らせ、その首を軍門に晒させた。

 

翌日、呂布が牛輔と対戦したが、牛輔が呂布に敵うわけも無く、またしても大敗して逃げた。その夜、牛輔は腹心の胡赤児(こせきじ)を呼ぶと、
「呂布にはとても敵うわけが無い。じじが李かくたち四人を裏切り、財宝を盗んで逃げようではないか」
と言った。胡赤児が承知した為、財宝をかき集めると、近臣三、四人だけを連れてそっと陣屋を逃げ出した。ところが道中、胡赤児が財宝を自らの物にしようと牛輔を殺し、首を斬って呂布に献じた。呂布が事情を問いただしていると、牛輔の近臣の一人が歩み出て言った。
「胡赤児は牛輔を殺して財宝を奪ったのでございます」
呂布は怒って、その場で胡赤児の首を斬りおとした。更に軍勢を率いて前進し、李かくの軍勢を攻めかかった。李かくの軍勢は抵抗のしようが無く、逃げると郭、張済、樊稠と軍議を開いた。そこで言うには、
「呂布は勇猛だが知恵の足らない奴だから、恐れることは無い。それがしが呂布を誘い出すので、郭殿は呂布の後ろを襲ってくれい。張済殿と樊稠殿はその隙に兵を率いて長安へ一気に攻め入ってくれぬか。そうすれば呂布は敗れ去るに違いない」
一同これに同意した。

 

さて呂布が兵を率いて李かくを攻めると、李かくも手勢を率いて迎え撃った。呂布の怒りは凄まじく、一気に攻めかかれば、李かくは山へ逃げのぼり、矢や石を雨あられと注ぎかけた。呂布が進めずにいると、背後から郭が攻めてきたとの知らせがあり、呂布が急いで取って返すと郭の軍はさっと引いてしまう。すると今度は李かくの軍勢が打って出てくる。呂布が駆けつければ、やはり戦おうとせず引き去ってしまう。こうして数日間、戦おうにも戦えず、呂布は胸を掻き毟りたいほどの怒りに捕らわれた。その時、突然早馬が到着して、張済、樊稠の軍勢に襲われて長安が落城寸前との報がもたらされた。呂布が急ぎ軍を率いて長安へ戻ろうとすれば、李かくと郭が追い討ちをしてくる。呂布はひたすら逃走をしたので、多くの兵を失った。長安の城下にたどり着いてみれば、賊兵が虫のように群がって城をひしひしと取り囲んでいた。呂布は打つ手も無く、一人胸を痛めていた。

 

数日後、城内に残っていた董卓の残党が城門を開いた為、賊軍は一斉になだれ込んだ。呂布は右へ左へ突きいって、賊どもを蹴散らし、王允の元に辿り着いた。
「王允殿、もはやこれまででござる。共に逃れて別に良策を立てようではありませんか」
「国家の安泰をはかるのがわしの念願であったが、これが叶わぬのであれば一命を捧げて国のために果てるのみ。危機が迫ったからといって逃げるようなことは、わしはせぬ」
呂布が再三勧めたが、王允は留まると言って聞かない。呂布はやむを得ず百余騎を率いて逃亡し、袁術(えんじゅつ)の元に身を寄せた。
李かく、郭は兵士らが市外を荒らしまわるままにし、多くの忠臣を死に追いやった。賊兵が宮中へ入り込むのを防ぐ為、献帝(けんてい)は楼上から声をかけた。「そなたら、詔も受けずに長安に乱入するとは、どういったことか」
李かく、郭が仰ぎ見て奏上した。
「董卓様は陛下の無二の臣下でございましたのに、王允に理由も無く殺されたのです。我々はその復習に参ったもので、謀反など微塵も考えておりません。王允をお出し下されば、すぐに兵を引く所存です」
この時王允は献帝の側にいてこれを聞き、
「王允はここにいるぞ」
と叫ぶなり、楼上から身を躍らせた。
李かく、郭は剣を抜いて詰め寄り、
「董卓様を何故殺したのか」
「董卓の罪は天地にはこびって、言葉に尽くせないものだ。あやつが死んだ日には長安の人々は皆喜び合ったものだ。貴様たちは聞いていないのか」
「董卓様にたとえ罪があったとしても、わしたちに何の罪があったのか」
「黙れ、逆賊。わしは今日ここに果てるのみだ」
と王允が罵れば、李かく、郭は王允とその一門を老若男女残らず殺した。長安の者は皆涙を流して悼んだ。

すると李かく、郭は、
「ここまで来たからには、一気に天子を殺して国を乗っ取ってしまおう」
と考え、宮中へ斬り入ろうとする。さて献帝のお命はどうなるか。それは次回で。