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糜竺孔融に助けを求め、太史慈孔融を救う

さてここで献策をしたのは姓は糜(び)名は竺(じく)字は子仲(しちゅう)である。陶謙(とうけん)の補佐官だが、この時次のように進言した。
「それがし孔融(こうゆう)殿に加勢を求めてまいりましょう。他に誰か加勢を頼みに遣わし、この軍が到着いたしましたら、曹操は必ず兵を引くでしょう」
陶謙はこの策を受け入れ、糜竺と陳登(ちんとう)に書面を届けさせ、己は軍勢を率いて城を固め、来襲に備えた。

 

さて孔融は幼い頃から神童と名高く、将来一代の英才となるだろうと言われていた。この時、北海の地を治めて六年、領民から厚い信頼を得ていた。
その日糜竺が彼を訪れ、陶謙の書状を取り出して、
「曹操の攻撃は激しく、孔融殿のご加勢をお願いいたします」
「わしと陶謙殿は腹を割って語り合う仲じゃ。その上こうして貴殿まで参ったとあれば協力しない訳はない。しかし、曹操殿とわしは別段不仲でもないのだから、ひとまず書面をもって宥め、彼が応じないようであれば兵を起こすとしよう」
「曹操はとても兵を引くことはありますまい」
と、糜竺は答えたが、孔融は出陣の用意をすると共に、使者を派遣した。
なおも話し合いを続けていると、思いがけも無く黄巾賊の残党が、数万の兵を率いて殺到しているとの知らせが入った。孔融は大いに驚き、急ぎ城外にて賊を迎え撃てば、敵将は、
「北海には穀物が有り余っていると聞いた。一万石寄越せば兵を引こう。寄越さぬと言うのであれば人っ子一人生かしてはおかぬぞ」
と言う。
「賊にやるものなどありはせぬ」
孔融が罵り返すと、敵将は激怒して薙刀を振りかざして孔融に襲い掛かる。孔融の武将が間に入ったが、数合もせず馬から斬って落とされ、孔融の手勢はどっと乱れて城内に逃げ込んだ。賊が四方から城をひしひしと取り囲んだため、孔融は顔を曇らせ、糜竺の心中はより暗いものがあった。

 

翌朝、物見に上がった孔融が、群がる賊の勢いに胸を痛めているところに、突然城外に一人の武者が現れ、賊を蹴散らしていく。たちまち城門にたどり着いたので、孔融が急ぎ門を開けて彼を引き入れた。孔融が姓名を尋ねると、
「それがしは姓は太史(たいし)、名は慈(じ)、字を子義(しぎ)と申し、かねてより母が殿のご恩を受けている者でございます。それがし昨日親許に帰ったところ、初めて賊が城下を攻めている事態を知ったのでございます。常日頃のご恩をお返しすべく、ただ一騎にて参上した次第です」
とのこと、孔融は大いに喜んだ。