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曹操陣を引き、陶謙後事を劉備に託す

「それではただちに手を打ちましょう」
と郭嘉(かくか)が言えば、曹操は、
「敵の策の裏をかいてやるのだ。わしが火傷で死んだと言いふらせば、呂布は必ず兵を率いて攻めてくるだろう。わしは山中に兵を伏せておいて、奴らが半ば通ったところを一挙に叩いてくれる。そうすれば、呂布を生け捕りに出来ようぞ」
「まことに良計でございます」
こうして兵士に命じて喪服を着けさせ、曹操死すと言いふらさせた。噂は速やかに呂布の耳に入った。呂布はただちに兵馬を整え、曹操の陣を目指した。やがて陣を目前にしたとき、太鼓の音が響き渡り、伏勢が四方から討って出てきた。呂布はかろうじて斬り抜けたが、数多くの兵士と馬を失って濮陽へ逃げ戻って、以来守りを固めて一向に出てこようとしなかった。
また、この年は蝗(いなご)が大量に発生し、作物がことごとく食い荒らされた。その為食糧の根が高騰し、人々はお互いを食い合う有様となった。曹操、呂布共に兵糧が尽き果てて、自然、戦いは中止された。

 

さて、陶謙(とうけん)は徐州の責任者であったが、この時既に六十三歳であった。些細な病を得て床についたのが、見る見る重くなったので、糜竺(びじく)、陳登(ちんとう)を呼んで後事を相談した。糜竺が言うのに、
「曹操の軍が引き揚げたのは、呂布がえん州を襲ったためです。今年は凶作ゆえ兵を出さずにおりますが、来春はまた必ずやってくるでしょう。殿は以前劉備(りゅうび)殿に二度位をお譲りになられましたが、あの節は殿がまだご壮健であられましたので、劉備殿もお引き受けにならなかったのでしょう。しかし、今回は殿がお悩みを募らせた結果でもあります。これを理由にお譲りになれば劉備殿も無下には断りかねることにございましょう」
陶謙は大いに喜び、使者を劉備の元に遣わし招いた。劉備が関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)と共に徐州に着くと、陶謙は早速寝室に案内させた。そうして言うに、
「それがし最早病篤く、今日明日をも知れぬ命です。そこでご貴殿に漢王朝を思うお心を改めて思い起こしていただき、この徐州をお任せいたしたくお願い申し上げる次第です」
それを聞いて劉備は、
「ご子息を二人もお持ちなのに、なぜお譲りにならないのです」
「長男、次男共にこの大任を任せられる器ではございません。それがしの死後は、よくよくお導き下されたい。決して決してこの任に着かせぬようお願いいたす」
「しかし、このような大任わたくし一人の身ではとても果たすことが出来かねます」
「それでは、ご貴殿のお力になれるような者を一人推薦いたしましょう。姓を孫(そん)、名を乾(けん)、字を公祐(こうゆう)と申す男です。何かとお役に立つでしょう」
と言って、糜竺に向かい、
「劉備殿は当世の英雄、お前もよくお仕えするように」
劉備は最後まで首を横に振って頷かなかったが、陶謙は己の役割を終えたかのように息絶えた。