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劉備徐州を治め、曹操陳国を取る

人々は嘆き悲しんだ後に、徐州の責任者が持つ官印を劉備に捧げたが、劉備は固く辞して受け取らなかった。翌日、徐州の人民たちが役所の前にむらがり、涙ながらに
「劉備様が徐州をお治めくださらねば、わたしたちはとても安心して暮らせません」
と訴えた。
関羽、張飛からも再三勧められて、劉備はやっと徐州を預かることを承知し、陶謙の葬儀を執り行った。式が終わると陶謙が死に臨んで書き残した上奏文を朝廷へ送った。

 

その頃曹操は、陶謙が既に死に、劉備が徐州の責任者になると知って大いに怒った。
「わしがまだ父の仇を討たぬというのに、横から掠め取るとは無礼な奴。まずは劉備を血祭りに挙げてから陶謙の屍を粉々に刻み、父の恨みを晴らしてくれよう」
と、ただちに命令を下して、即日徐州討伐の兵を起こそうとした。それを荀ケ(じゅんいく)が諫めるのに、
「今もし徐州を取ろうとすれば、兵を多く留め置かなければ呂布に襲われるでしょう。そうすればえん州を失うことになります。もし徐州を取れなかった時は、殿はどこに帰られますか。今陶謙死すと言えども、すでに劉備が守っております。しかも徐州の民は劉備に懐いており、彼のために死をも厭わず戦うでしょう。殿がえん州を棄てて徐州を取ろうとなさるのは大事を見失い小事にかかずらうこと。よくよくご考慮くださいますよう」
「だが、今年は凶作で兵糧が乏しく、軍勢をここに置いておくことも良策ではないではないか」
「されば軍を東へ進めて陳国をお取りになり、そこで兵糧を調達するのがよろしいと存じます。かの地では黄巾賊の残党が州郡を略奪しまわっており、金銀財宝、食糧など大量に蓄えております。賊どもを破るは安きことであります故、これを破って食糧を徴収し、軍を養うことが出来れば、朝廷も喜び、人民も殿の徳に感謝することでしょう。これぞ天意に従ったものと存じます」
曹操は喜んでこの言に従い、自ら軍を率いて陳国を取り、次いで汝南(じょなん)、潁川(えいせん)に進んだ。黄巾賊の残党は曹操の軍が来ると聞くと、部下を引き連れて打って出た。賊共は多勢と言えども烏合の衆に過ぎず、陣もなっていない。曹操は弓兵に射掛けさせておいて、典韋を出陣させた。賊は副将を出して戦わせたが、三合せずして典韋の繰り出す戟に討ち取られる。ここぞとばかりに曹操、勢いに乗って襲い掛かり、山を越えて陣を取った。翌日、敵将自ら軍を率いて現れると、一人の大将が徒歩で進み出た。その男は大声で、
「截天夜叉何曼(せつてんやしゃかまん)とは俺のことだ。誰か俺にかかってくる者はあるか」
と叫んだ。