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曹操が帰陣すると、曹仁、夏侯惇が言うのには、えん州の兵士達は皆城外に出払って略奪に及んでおり、城は空になっているため、この機に攻めれば城を落とすことが出来るとの事だった。曹操はただちに軍勢を率いてえん州に殺到した。えん州兵は虚を衝かれて城外に出陣した。許ちょが、
「それがし敵将を捕らえてみせましょう」
と言えば、曹操大いに喜び出陣を命ずる。敵将はあっという間に許ちょに斬り落とされた。

 

曹操はふたたびえん州を得たので、程c(ていいく)がさらに兵を進めて濮陽を取るように進言した。曹操はその言を受け入れ、陣を整えると打ち立った。曹操の軍勢が濮陽に至ると、呂布は自ら出陣しようとした。
陳宮が、
「今出て戦うのはよろしくありません。諸将の集まるのを待ってからが最善と存じます」
と諫めたが、呂布は、
「誰が来ようと恐れるわしではないわ」
と聞き入れず、兵を率いて出陣した。許ちょが打ってかかること二十合ほど、勝負がつかない。曹操は、
「呂布はとても一人では討ち取れまい」
と、典韋に加勢を命じた。そこを左から夏侯惇、夏侯淵が、右から李典、楽進が一斉に討って出て、大将六名で攻め立てれば、さすがの呂布もさばききれず、馬首を返して城へ走った。しかし城では呂布が逃げ帰ってくるのを見て、吊り橋を引き揚げて呂布を城内に入れない。呂布は大いに罵ってから兵を率いて落ち去った。陳宮は急いで東門を開けると、呂布の家族を守って城を出た。
こうして曹操は濮陽を手に入れた。その時劉曄が、
「呂布は猛獣でございます。疲れきった今こそ、討ち取ってしまう好機です」
と進言したので、曹操は自ら軍を率いて呂布を追った。曹操は呂布に追いついても一向に戦おうとせず、離れて陣を取った。ちょうど麦が盛りの季節だったので、曹操はこれを刈り取って兵糧とした。これを間者が呂布に伝えたので、呂布は軍を率いて打って出たが、曹操の本陣間近の左側に奥深い森があるのを見て、伏兵を恐れて引き返した。曹操は呂布の軍が引き揚げたと聞き、
「呂布の奴は森に伏兵ありと思ったのだ。あの中に旗を立てて余計疑わせてくれよう。また、この本陣の西に堤が伸びておるが、あそこに伏兵を伏せておこう。明日、呂布が必ず森を焼きに来ようから、堤に伏せた者どもがその退路を立てば、奴を生け捕りに出来ようぞ」

 

さて、呂布が帰って陳宮にこのことを話すと、
「曹操は策略家です。軽々しく出るのは禁物でございます」
と留めたが、呂布は
「わしは火攻めで伏勢を破ってやる」
と聞き入れない。
翌日呂布は大軍を率いて出陣し、森の中に旗を見かけるやいなや一気に兵を進めて火をかけた。しかし誰一人出てこないので、本陣へ突き入ろうとした時、突然本陣の裏手から一隊の軍勢が打って出た。呂布が馬を躍らせてこれを追えば、先の六大将が一斉に撃ちかかる。呂布はこれは敵わぬと判断し逃げれば、これに従う武将は楽進の弓矢に射殺され、呂布は手勢の三分の二を失った。城に戻って敗戦を陳宮に伝えれば、急ぎ逃げ落ちることとなった。
曹操は勢いに乗って城内へ殺到し、こうして山東一帯はことごとく曹操の治めることとなった。

 

さて、呂布は落ちていく途中で、追いついてきた諸将と合流し、陳宮も探し当てた。
「味方は少ないとは言え、まだまだ曹操を破るくらいのことは出来る」
と呂布は、再びとって返そうとする。さて呂布の命運はどうなるか。それは次回で。