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李楽横暴を極め、天子を奪わんと欲す

翌日、更に先を急がれたところ、二人の大臣が追いついてきて、牛車の前に泣きながら拝ふした。楊彪と大臣であった。大臣が言うには、
「李かく、郭はわたくしの言う事をよく用いておりました。これよりわたくしは一命を投げ打って兵を収めるよう説得してみようと存じます。陛下にはなにとぞお体を健やかにあらせられるよう」
と、奏上して立ち去った。
帝は楊彪の勧めでひとまず安ゆう(あんゆう)県を都とされた。馬車は安ゆうに至ったものの、帝がご政務を行なうのに相応しい建物もないので、帝と皇后はかやぶきのあばら家をご寝所とされたが、紋もなく、四方に荊を植えつけて目隠しとした。帝はこのあばら家で国事を協議され、諸将は兵を率いてあばら家の外で警護に当たった。

 

李楽らは横暴な振る舞いを行い、百官に少しでも気に食わないことがあると、帝の御前においてすら悪口雑言して打ち据え、わざと濁り酒や粗食を帝にお勧めしたが、帝はこらえ偲んでそれをお召しになった。李楽らは己の配下に様々な役職を授けたが、印を刻むのも間に合わないので木片に錐で刻むと言う有様で、作法は全く乱れ果てた。

 

さて、先の大臣は言葉を尽くして李かく、郭を説いたので、彼等はその言に従って百官及び女官たちを解放した。この年は非常な飢饉で、餓死する者が絶えなかった。帝はお慕いする者たちからの献上品でなんとか急場をおしのぎになられた。楊奉、董承は話し合いの上、人を洛陽へ遣わして宮殿を修復させると共に、還幸願おうとしたが、李楽が聞き入れないので、董承が、
「洛陽は元々天子の都である。安ゆうごとき手狭なところは、天子のおられるところではない」
と言うと、李楽が、
「お前達は天子を連れて行ったらいいさ。俺はここにいる」
と言うので、楊奉、董承は牛車を奉じて立ち去った。
李楽は密かに李かく、郭と縁を結び、ともに天子を奪おうと策した。楊奉、董承らはそれを知ってただちに兵を整え、牛車を警護して関所を目指せば、李楽はこれを知って李かく、郭の軍制の来着も待たず、自ら手勢を率いてその後を追い、山の麓で追いつくなり大声で言った。
「車を止めい。李かく、郭ここにあり」
献帝が仰天され、生きた心地を失った。さて、天子の行く末はどうなるか。それは次回で。