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献帝洛陽に還幸され、曹操詔に従い出陣する

さて李楽(りがく)が、手勢を率いて李かく(りかく)、郭(かくし)が追いついたと大声を上げたので、天子は肝を潰さんばかりに驚かれたが、楊奉(ようほう)が、
「あれは李楽の兵でございます」
と奏上して、徐晃(じょこう)に迎え撃つように命じた。李楽は自ら打って出たが、たった一合打ち合わせただけで斬り捨てられた。残党の者共も慌てふためいてたちまち討伐された。こうして天子をお守りして進むと、箕関(きかん)を通りかかった。箕関の責任者張楊(ちょうよう)が食料や衣類を用意して、帝を歓迎した。
やがて献帝(けんてい)ご一行は洛陽に還幸(かんこう)された。しかし宮殿は灰燼となり、町は荒れ果ててただ雑草のみが生い茂り、御殿も僅かに壁のみ残る有り様に、楊奉は仮御殿の増設を配下に命じ、しばらく天子とお后にはそこにお住まいになるようお薦めした。献帝は詔を発し、暦を建安(けんあん)元年と改元されたが、この年も昨年に続いての大飢饉で、洛陽の住民は数百戸のみ、食う物もなく、樹の皮や草の根を掘って食い繋ぐ様子だった。官吏も食料を求めて郊外に出たが、餓死者が続出して、漢末の衰退もここに極まった感があった。

 

楊彪(ようひょう)が帝に奏上して、
「先に発せられたご勅命、今日までゆとりが無く棚上げになっておりましたが、現在曹操(そうそう)は山東(さんとう)にあって屈強の将兵を集めております。出仕を命じ、皇室を補佐させるのがよろしいでしょう」
「朕が既に詔を発したものを、改めて朕に断る必要はない。そうするが良い」
楊彪は直ちに山東へ勅使を向かわせ、曹操を召した。

 

さて曹操は天子が既に洛陽にお帰りになった事を聞き、幕僚を集めて協議した。そこで荀ケ(じゅんいく)が言うには、
「その昔天子を擁して天下の心を掴んだ英雄がおりました。今献帝がお困りの折、殿が義兵を挙げて天子を奉じて民衆の要望に応えられれば、比類無き大略と存じます。もしこれを早急に行わなければ、他の者に先んじられましょうぞ」
曹操は大変納得し、詔を受けて出陣した。

 

さて洛陽ではいまだ諸事が整わず、城の修復もままならずにいたところへ、李かく、郭が軍を率いて迫ってきて言えるとの知らせがもたらされた。帝は大いに驚かれて楊奉に、
「まだ曹操がやって来ていないというのに、李かく、郭の軍が来るという。どうしたらよいものか」
楊奉らは、
「私どもが命を捨てて賊軍と戦い、陛下をお守り致します」
と言った。