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孫策伝玉璽を質に兵を起こし、周瑜の策に応じる

三人の意見は一致し、翌日、孫策は袁術の前に出ると、涙を流しながら言った。
「それがし、いまだ父の仇も討てずにおりますところ、今また母舅の呉景(ごけい)が劉よう(りゅうよう)に苦しめられており、曲阿に残してきたそれがしの家族が危ない目に合うのも目に見えています。つきましては屈強の兵士を拝借して、家族を救い出しに参りたく存じます。つきましては、亡父の形見の伝国の玉璽をしばらくお預かりくださりませ」
袁術はそれを手に取ると相好を崩した。
「わしは別にこれが欲しいわけではないが、しばらく預かっておこう。三千の兵と馬五百頭を貸してやるから、戦が終わったらただちに返すように。それから、そなたの官位ではこれだけの大軍を動かすのもやりにくかろう。わしからお上へ役職を昇らせるようお願いしておくから、日を決めて立つがよかろう」
孫策は感謝の意を示して引き下がり、朱治、呂範と以前から孫家に仕えている程普(ていふ)、黄蓋(こうがい)、韓当(かんとう)らを率いて、吉日を選んで出発した。そして進むこと幾日、一隊の軍勢が近づいてきた。先頭に立った美丈夫が、孫策を見るなり馬から飛び降りて平伏した。見れば、姓は周(しゅう)名は瑜(ゆ)、字は公瑾(こうきん)である。周瑜は孫策と同い年で義兄弟の契りを交わしていたのである。孫策の方が二ヶ月早く生まれたため、周瑜は義弟として孫策に従っていた。
孫策は周瑜に会って大変喜び、己の苦悩を語った。
周瑜は、
「それがし、お役に立つためならばどんな苦労もいといませぬ」
と言う。孫策は、
「そなたが加わってくれれば、俺の望みも叶ったと同然だ」
と喜んで、周瑜の献策を聞き入れた。それは張昭(ちょうしょう)、張紘(ちょうこう)を陣営に招くようにとのことであった。孫策は自ら彼らを訪ねて語り合い、出馬を勧めたので、二人は承諾した。

 

さて劉ようは、孫策の軍がやってくると聞いて、急ぎ諸将を集めて協議をすると、
「それがしに先鋒をお申し付けください」
と叫ぶ者がある。一同が見れば太史慈(たいしじ)である。しかし、
「そなたはまだ若くて大将にはなれまい」
と劉ように言われて引き下がり、大将は張英(ちょうえい)が任される事になった。
そうして孫策が兵を率いて到着すれば、張英が打ち迎える。両軍、河原に対峙した。黄蓋が張英に打ってかかる。数合も打ち合わないうちに、張英の軍に異変が起こり、陣中に火を掛けた者があるという。その者は二人の勇将で、一人は姓は周(しゅう)、名は泰(たい)、字を幼平(ようへい)という。もう一人の将と共に孫策に下る為に、張英の陣に火を放ったのである。