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曹操張しゅうに追われ、典韋血の海に果てる

張しゅうの家の者がこのことを伝えたので、張しゅうは
「おのれ曹操、馬鹿にするにもほどがある」
と怒り心頭、賈くに計った。すると賈くは、曹操を亡ぼす為の策を献じた。それは張しゅうの陣営を本陣の側に移動させ、火攻めの上で攻め込むというものだった。張しゅうはこれを用いることにしたが、典韋が邪魔になって近づけないので、配下の武将にこれを相談した。すると武将が答えるのには、
「典韋を恐れるのは、一対の鉄戟を使うことだけです。明日、宴会を開き彼を酔い潰してお帰しなさいませ。その時、それがし戟を盗んでまいります」
と進言した。張しゅうは大変喜んで、典韋をもてなし、酒を勧めた。夜になり彼が泥酔して帰る際、武将は雑兵に紛れて典韋の戟を盗んだ。そして張しゅうは深夜四方から火をかけた。驚いた曹操は典韋を呼んだが、がばっと跳ね起きた典韋は戟を探すが、一向に見つからない。その内早くも敵兵が迫ってきたので、近くの兵士の武器を奪うと典韋はここが要とばかりに斬りまくり、二十人余りを倒してようやく敵を退けたと思えば、後詰の一隊が進み出てくる。典韋は鎧もつけず、無数の傷を受けながら、死に物狂いで戦った。やがて刀が刃こぼれを起こし役に立たなくなると、それを投げ捨て素手で八、九人を殴り殺す様だった。典韋を恐れた敵兵は、遠巻きにして矢を雨の如く射かけ、更に背後から迫った敵の槍が典韋の背中に突き刺さった。典韋は一面血の海にして果てたが、彼が死んでも、しばらくは門に入ろうとする者はいなかった。

 

さて曹操は典韋が門を遮っている間に、裏手から馬に乗って逃れたが、甥がただ一人徒歩で付き従った。ようやく川のほとりにたどり着いたとき、賊兵に追いつかれ、甥は斬り刻まれて死んだ。曹操は川の流れを押し分けて向こう岸に上がったが、飛来した矢が馬の目に当たって、馬はそこに倒れた。そこで曹操の長男曹昴(そうこう)が己の馬を差し出したので、曹操はそれに乗り換えたところ、曹昴は敵の矢を浴びせかけられて死んだ。曹操は命からがら落のび、途中諸将と行きあって手勢を集めた。
ところが夏侯惇(かこうとん)の率いる兵が、占領下の民家に無体を働いていたのを、于禁(うきん)が征伐し、農民を安堵させた。逃げ帰った兵士は、曹操に、于禁が謀反し夏侯惇の兵を攻撃していると讒言した。曹操が仰天するうちに、夏侯惇、許ちょ(きょちょ)、楽進(がくしん)らが追いついてきたので、于禁の裏切りを告げ迎え討とうとした。