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袁術孫策と絶縁し、兵を起こさんとする

そこで呂布は軍を五つに分け、自らも一隊を率いて出陣した。呂布は城外三十里のところに陣を布いたが、やってきた敵将は呂布を恐れて二十里後退して陣を取り、援軍を待ち受けた。その夜、韓せん、楊奉が手当たり次第に火をかけさせると共に、呂布の軍を陣中へ引き入れえた為、袁術の軍は大混乱に陥り、呂布が散々に打ち据えて敗走した。
呂布がこれを追って夜明けになった頃、紀霊(きれい)が援軍を率いて駆けつけた。この時もまた韓せん、楊奉の軍が二手に分かれて横合いから、討って出たので紀霊の軍勢はどっと崩れ落ちた。呂布はこの機を逃さず追ってなだれかかった。
その時、天子の印を身に付けた袁術が現れた。袁術は呂布に向かって、
「げすとは貴様のことだ」
と散々に罵った。呂布は怒り心頭、手勢に命じてなだれかかれば、袁術の軍勢は総崩れとなり、呂布はこれを追い散らした。
袁術が敗軍を率いて逃げようとした時、一隊の軍勢が現れて、退路をふさいだ。先頭に立ったのは誰であろう、関羽(かんう)その人である。
「逆賊め。命をもらったぞ」
と大声で怒鳴ると、袁術は慌てて逃げ失せ、兵も散々に討ち滅ぼされた。
呂布は勝利を祝う宴席を設け、兵らにも褒賞を与えた。
翌日関羽が去ったあと、呂布は陳珪を呼んで、
「韓せん、楊奉の両名を徐州に留めておきたいと思うが、どうか」
と尋ねた。それに対し陳珪は、
「それはなりませぬ。韓せん、楊奉を山東に派遣しておけば、一年をせずにして山東各地は全て呂布殿の物になるでしょう」
と言うので、呂布はなるほどと納得した。陳登が密かに父親の陳珪に向かって、
「なぜ二人を徐州に留まらせて、呂布を殺させなかったのですか」
と聞いたが、

「もし二人が呂布と打ち明け手を結んだとしたら、かえって呂布の力を強大にするようなものではないか」
と言われ、父親の考えの深さに敬服した。

 

さて、逃げ戻った袁術が孫策(そんさく)に報復の為の兵を借りたいと申し入れると、孫策は、
「わしの玉璽を横領し、厚かましくも帝を名乗り漢王朝に背く悪逆非道の行いをしながら、何をぬかすか。誰が逆賊に手など貸すものか」
と怒り、袁術の要望を拒否した。袁術は大いに怒り、孫策を攻め滅ぼそうとしたところを、臣下が言葉を尽くして諫めたので、ようやく思い留まった。