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関羽赤兎馬に喜び、曹操臍を噛む

ある日、曹操が関羽に
「貴公の髭はどのくらいあるのじゃ」
と尋ねたところ、
「およそ五、六百本はございましょうか。毎年秋になると三本五本と抜けますので、冬は袋に包んでいるのです」
そこで曹操は錦の布で髭袋を作らせ、関羽に贈った。ある日、朝見の際に帝が関羽の袋に目を留めて、その場で袋を外すよう仰せられれば、その髭は下腹に届くほどであった。
「まことに美しい髭じゃの」
と仰せられたため、これより美髭公と呼ばれるようになった。
またある日、曹操が関羽の馬が痩せているのを見て、
「貴公の馬はどうして痩せているのか」
と尋ねると、
「それがしが大変重いので、馬が耐え切れずに、いつもこのように痩せ細ってしまうのです」
そこで曹操はかつて呂布(りょふ)が乗っていた赤兎馬を関羽に贈った。関羽が繰り返し礼を述べると、曹操は不満の面持ちで、
「これまで度々美しい女や宝物を差し上げたが、一度も礼を言ってくれたことがなかったのに、馬を差し上げたらこうも喜んで礼を言うとは、人間よりも畜生の方が大事だとでもお思いか」
「それがし、この馬が日に千里を駆けることを存じております。この馬がおれば兄者が見つかったときに一日にして対面することが叶うでしょう」
曹操が愕然としているうちに、関羽は辞して去った。

 

曹操は張遼に、
「わしは関羽を丁重に扱っておるつもりじゃが、彼が常に立ち去ろうとしているのは何故だろう」
と尋ねると、張遼は、
「それがしが関羽殿と話をしてみます」
と言って、翌日関羽を訪ねた。
「それがしが貴公を丞相に推挙してから日が立ちますが、何かお気に召さぬことでもございましたか」
「丞相のご厚意には大変感謝しておりますが、それがしの身はここにあれど、心は兄者を慕って忘れられぬのでござる。それがしも曹操殿のひとかたならぬご厚情は感じ入っておるが、兄者とは死をも共にせんとまで誓った間柄ゆえ、背くことは考えられないのだ。いずれは立ち去らねばならぬ身だが、その際は今までのご恩をお返ししてからにする所存」
「もし劉備殿が既にこの世の方ではなかった場合、どうなさる」
「冥府までお供いたす」
張遼は関羽を引き止めるのは出来ないと知って、別れを告げると曹操にありのままを話した。曹操が、
「一度主に仕えてその本意を忘れぬとは、これぞ天下の義士であるなあ」
と嘆息すると、荀いく(じゅんいく)が、
「手柄を立ててからでなければ出ていかぬと申したなら、彼に手柄を立てさせなければよろしいでしょう」
と言い、曹操も頷いた。