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何大将軍袁紹を率いて、弁皇子を即位させる

ある夏、帝は病にかかり日に日に重くなったので、後事を相談する為と大将軍の何進(かしん)を呼ばれた。この何進とは元は精肉屋で働いていた男である。そこへ妹が宮中に召し出されて皇子弁(べん)を産み何皇后(かこうごう)になった為、彼も重用されるようになったのであった。帝はまた王美人(おうびじん)(美人は皇后、貴人の次につぐ妃の官名)をご寵愛になり、皇子協(きょう)を授かったが、その王美人は何皇后の嫉妬を買って毒殺されてしまった。皇子協は帝の母親である董太后(とうたいこう)の元で養われた。

 

董太后は以前皇子協を東宮に立てるように帝に勧めたことがあり、帝も協を偏愛されていたのでそのつもりでいた。病がいよいよ悪化した時、十常侍の蹇碩(けんせき)が、
「もし協皇子を跡継ぎにご指名されるおつもりなら、まずは何進を殺害して禍根を断っておくべきです」
と奏上した。
帝もその通りと考え、何進を呼び出したのである。何進が門前まで来た時、
「参内はしてはなりません。蹇碩が将軍のお命を狙っていますよ」
と知らせる者がいた。何進は大いに驚いて急いで帰宅し、諸大臣を集めて宦官(かんがん)を全滅させようと企んだ。その席から進み出て、
「宦官の勢いは今や朝廷に浸透しており、一気に滅し尽くすことはとうてい出来かねます。もし計画が漏れれば、一族皆殺しの憂き目に会うことは必定です」
と言う者がある。今は帝の親衛隊長の曹操である。何進は怒鳴り声を上げた。
「貴様如き小物に朝廷の大事が分かるものか」
こうして方策も立たないでいる間に、何進に急を知らせた者が来て報告した。
「陛下は既にお亡くなりになりました。今、蹇碩が十常侍と相談し、陛下の喪を隠し、偽の詔を出して大将軍殿を呼び出して殺害の上、協皇子を陛下の跡継ぎに立てようとしております」
曹操が、
「今はまず、帝の後継者問題を正し、その後宦官らを亡ぼすことこそ大事でしょう」
と言えば、
「誰か余の為に弁皇子を帝位につけ、賊を討つ者はいないか」
と何進が言う。その言葉に一人進み出るものがいた。

「精兵五千人をお借りできれば、宮廷に斬り入って弁皇子を帝位につけ、宦官を亡ぼし朝廷を払い清めてみせましょう」
姓は袁(えん)、名は紹(しょう)、字は本初(ほんしょ)と言い、洛陽の軍政両権を握り、その権力は三公(軍事、政治、官吏の管理の最高責任者)を除く諸大臣にまで及ぼすことが出来る男である。
何進は大変喜び、袁紹に軍五千人を与え、自らは荀攸(じゅんゆう)ら重臣三十余名を従えて共に宮中に入り、霊帝の棺の前で皇子弁を皇帝の位に即かせた。