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黄巾賊を討伐し、劉備官職を得る

朱儁は劉備の策に同意し、ただちに実行すると、韓忠は軍勢を率いて城を棄てて逃げ出した。
朱儁は劉備らと軍を率いて追いかけ、韓忠は矢に当たって死んだ。
残りの賊どもも散り散りに逃げ去った。更に追い討ちをかけようとしたとき、趙弘、孫仲が賊軍を率いて加勢に駆けつけた。
朱儁は趙弘の大軍を見ていったん軍を退くと、趙弘は勢いに乗って城を奪い返した。
朱儁が再び攻めようとしているところに、真東より一群の人馬が現れた。
先頭に立つ大将は、虎のような体つきの立派な将軍である。これこそ姓は孫(そん)、名は堅(けん)、字は文台(ぶんだい)、かの孫子の末裔である。
孫堅は黄巾賊の乱が起こると聞き、加勢にやって来たのであった。

 

朱儁は大いに喜び、劉備らと力を合わせ城を攻める。
孫堅が一番乗りをして趙弘の矛を奪い取ると、馬から突き落し殺した。
孫仲は戦う気をなくして逃げようとするが、劉備の放った矢に当たって、落馬して果てた。
朱儁は逃げる賊軍を追い払い、数万の首級と無数の捕虜を得て、その地を広く安定させた。
朱儁が都に帰ると、車騎将軍に任じられた。
朱儁は孫堅、劉備らの功績を上奏すると、孫堅は官職に就いたが、劉備は待てど暮らせど何の沙汰も無い。

 

劉備らは面白くなく、気晴らしに町を歩いている時に、官吏の張鈞(ちょうきん)の車と行き会った。
劉備はこれは機会ととらえ、張鈞に自分の功績を訴えた。
彼は大いに驚き、早速参内して、
「黄巾賊が謀反を起こしましたのは、十常侍(じゅうじょうじ)が金で官職を売り、身近な者のみを登用し、刑罰を私怨を晴らすためにのみ用いたために、天下の乱れを招いたものです。速やかに十常侍を斬って、功績のあった者に厚く恩賞を下さいますようお願い申し上げます。そうすればおのずと天下は安らかになるでしょう」
と帝に訴えた。
しかし十常侍が、
「張鈞は陛下を騙そうとしているのです」
と言った為、十常侍を信頼している帝は張鈞を叩き出した。
十常侍は寄り合って、
「これは黄巾賊討伐に功績のあった者が、官職を授けられないのを恨んで訴え出たからに違いない。とりあえず小さな役職を与えておいて、後で処分することにすればよいだろう」
と決めた。

 

そうして劉備は安喜県の責任者に任じられた。劉備は県政をみること一ヶ月、少しも領民を苦しめることがなかったため、領民も劉備の徳に懐いた。また、着任の後は常に関羽、張飛と共に食事をし、夜は同じ寝台で寝た。劉備が広間に出て仕事をしている時は、二人は終日立ったままそばに控え離れようとしなかった。