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孫権 周瑜にはかり 魯粛を迎え入れる

さてその後、孫権は孫策の遺志を継いで江東を治めることとなったが、何から手を付けてれば良いか困惑していたところに、周瑜が帰ってきたとの報告があった。
「周瑜が戻ったならば、もう安心だ」
周瑜は巴丘(はきゅう)を守っていたのであったが、孫策が矢傷を受けたと聞いて、見舞いに戻る途中で彼の訃報を聞いたのである。日夜問わず急いで馳せ参じたものだった。周瑜が孫策の棺の前に泣き伏したとき、呉太夫人が出て遺言を伝えれば、周瑜は、 
「それがし力及ばずながら、一命を投げ捨ててでもお役に立たせていただきます」
と平伏した。間も無く孫権が現れると、周瑜は挨拶をした。
「兄上のご遺言の通り、わしを支えてくれ」
と言った。周瑜は深々と頭を垂れて、
「五体がばらばらに裂けようとも、先君のご恩に報いる所存でございます」
「父兄の大業を継いだものの、これからどのようにこれを守っていけば良いだろうか」
「古より、『優秀な人材を得るものは栄え、失うものは亡ぶ』と言われております。まずは優秀な補佐役を設けることが先決でしょう。そうすれば江東の地を納めることも叶いましょう」
「兄上は国内のことは張昭に問い、国外のことはすべて周瑜に任せよとご遺言なされたぞ」
「張昭殿は優れた賢人ですので、その大任を満足に果たすことが出来ましょうが、それがしには才能がなく、ご遺言に沿えないこともあろうかと思いますので、孫権様のご相談役として一人の者をご推挙いたしたく存じまする」
孫権が何者かと尋ねると、
「魯粛(ろしゅく)と申す人でございます。この人は兵法を学び、智謀を備えた方でございます。地方屈指の財産家でありましたが、貧しい者がいれば快く金を与えるような人で、それがしがかつて兵糧に困り魯粛を頼ったときに、三千石の米倉二棟のうち、一棟をそっくり用立ててくれました。彼の鷹揚さはこのようなものでございます。他の者が彼を召抱える前に、早々にお召になるのがよろしいでしょう」
孫権は大いに喜び、ただちに周瑜を魯粛のもとに遣わした。周瑜は魯粛に会うと、孫権が彼の高名を慕っている旨をつぶさに語った。魯粛は、
「近頃、友人が他のお方のもとに遣えるよう勧めてくれているので、そちらに行くつもりでおるのだが」

と言ったが、
「我が将軍の孫権様は、賢士を敬い才士をお用いるになることにかけては、右に出る者がおりません。貴公も迷うことなく、それがしとともに東呉へ参られるのがよろしかろう」
と言う周瑜の言葉に従い、共に江東に向かい孫権に見参した。