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曹操 倉亭に本初を破り 玄徳 荊州に劉表を依る

袁紹(えんしょう)はき州に帰ってからというもの、心を乱して政務を顧みずにいたので、妻の劉氏(りゅうし)が後継を定めて共に大権を見るように勧めた。袁紹には三人の息子があり、長男が袁譚(えんたん)、次男が袁煕(えんき)、三男が袁尚(えんしょう)と言った。このうち袁尚が劉氏の腹から生まれた子供で、特に容色に優れていたため、袁紹は特に可愛がって常に側から離さなかった。劉氏はこの袁尚を後継にするよう勧めたのである。
そこで袁紹は袁尚を後継にしようかと謀臣に謀ったところ、反対意見が出たため、また迷ってしまった。後継問題は一時棚上げにし、息子たちが兵を率いてき州に加勢に来たのを良いことに、再び曹操(そうそう)に決戦を挑んだ。しかし曹操の軍勢の決死の勢いに蹴散らされ、命からがら逃げ延びた。以後、病を患い養生に勤しむこととなる。

 

さて曹操は袁紹との戦いで大勝を収め、き州を攻略する作戦を協議していた最中、突然荀ケ(じゅんいく)より書面が届いた。
「劉備(りゅうび)が丞相(じょうしょう)のご出陣された報を聞いて、自ら軍勢を率いて許昌に攻め込もうとしているため、直ちに軍を引き返してこれを防がれるよう」
とのこと。曹操は大いに驚いて、自ら大軍を率いて劉備を迎え撃つため汝南へ向かった。道中、劉備の軍勢と行き合い衝突するも、戦上手の曹操のこと、劉備の陣営を打ち破った。しかし、劉備は落ち延び、荊州の劉表(りゅうひょう)の下に身を寄せた。そこで曹操は軍勢を率いて攻め込もうとしたが、程c(ていいく)が、
「袁紹もまだ片付いておりませぬのに、にわかに荊州に攻め込んだりして、もし袁紹が軍を起こしてきたら、いかがなされるご所存でござりますか。今はまず許昌にお戻りになって、軍の鋭意を養い、まず袁紹を破ってから荊州へ攻め込むのがよろしいでしょう」
と進言したので、ようやく軍勢を率いて許昌に戻った。そうして年が明けてから再びき州へ攻め込む兵を起こした。

 

その頃袁紹は病が快復してきたので、許昌を攻めようと協議をしていたところへ、曹操がき州へ攻め込んでくるとの情報が入った。そこで、
「わし自らが大軍を率いて迎え撃とう」
と入ったところ、三男の袁尚が、
「父上、ご全快もなされぬのに遠方にご出陣なさるのは宜しゅうござりませぬ。わたくしに行かせて下さりませ」
と言った。袁紹はこれを許した。さてこの勝負はどうなるか。それは次回で。