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孫堅玉璽を持ち逃げ、公孫さん袁紹を見限る

「わしは貴公の病気を知っているぞ。伝国の玉璽の為だろうが」
袁紹は笑うと、孫堅は顔色を失った。
「な、何を言われる」
「我々が今賊を得うとうとしているのは、国の為害を除こうとしての行いではないか。玉璽は朝廷の宝であり、これを手に入れた場合、当然盟主のわたしに預けられて、董卓を滅ぼした後宮廷にお返しするのが筋ではないのか。それを隠して持ち帰ろうとは、如何なるお気持ちからか」
「玉璽がわたしの手元にあるという証拠はおありなのか」
「昨日井戸から発見したものは何だ」
「わたしはそのようなものは持っていません。何故そう責められるのか」
「早く出した方が貴公のためだぞ」
孫堅は天に誓って言った。
「私がもしそのような宝を手元に隠していることがあれば、近々死に目に会うでしょう」
諸侯が、
「孫堅殿がそのように誓われるのであれば、お持ちでないのではないか」
と言うと、袁紹は例の兵士を呼び出して言った。
「井戸を発掘する時、この兵士がおったであろう」
孫堅は大いに怒って、腰の剣を引き抜いてその兵士を斬ろうとした。
袁紹も、

「この者を斬ろうとするか。貴様の偽りが明らかになったぞ」
と剣を抜けば、後ろに控えた顔良(がんりょう)、文醜(ぶんしゅう)も剣を抜いた。孫堅の後の程普、黄蓋(こうがい)、韓当(かんとう)らも剣を引き抜く。そこへ諸侯が一斉に出て入り、孫堅は急いで引き返し、洛陽を離れた。
袁紹は大いに怒り、書面をしたためて腹心の者に持たせ、荊洲(けいしゅう)へ走らせ、責任者の劉表(りゅうひょう)に孫堅の帰路をさえぎって玉璽を奪うよう命令した。

 

さて、翌日董卓を追った曹操が大敗して戻ったとの知らせがあった。袁紹は曹操を呼び寄せると酒宴を開き彼を慰めた。その席上で曹操が、
「わたくしが大儀の軍を起こしたのは、国家の為賊を除こうと思ってのこと。皆様のお力を借りることが出来れば董卓を倒すことが出来ると思って追った。しかし皆様方が進軍をためらわれるのでこうして負け戦になってしまった。わたくしは恥ずかしく思っています」
と言えば、袁紹らは返す言葉もなく黙り込んだ。曹操は袁紹らにそれぞれ野心があると見抜き、これでは大事が成り立たないと、宴会が終わり次第手勢を率いて揚州(ようしゅう)へ帰った。

 

公孫さん(こうそんさん)は劉備、関羽、張飛に向かい、
「袁紹は能なしだ。ぐずぐずしている討ちに必ず変事が起こる。我々はいったん引き上げよう」
といい、陣を引き払って北へ向かった。
公孫さんは平原郡(へいげんぐん)に着いて劉備を責任者に据えると、自分は本国に帰って軍勢の整備に努めた。

 

えん州の責任者劉岱(りゅうたい)は、東郡の責任者に兵糧の借用を依頼したが、協力を得られなかったので軍を率いて東郡に攻め込み、責任者を殺した上、その手勢をことごとく配下に治めてしまった。

 

袁紹は各人が勝手に去っていくので、自分も陣を引き払い、洛陽を離れ関東へ去った。

 

さて、荊洲(けいしゅう)の責任者劉表(りゅひょう)、字は景升(けいしょう)は、漢王室の一族である。幼少の頃より人と交わるのを好み、特に名士七人と共になって、人々から「江夏の八俊」と呼ばれていた。この時、袁紹からの書簡を読み、かい越(かいえつ)、蔡瑁(さいぼう)に命じて兵一万を率いて孫堅の帰路を遮らせた。孫堅の軍が進んでくると、かい越は行く先を遮った。
「これはかい越殿。我らの行く手を遮られるとは、どういうことですか」
「何を白々と。漢王朝の臣下でありながら、伝国の玉璽を隠すとは何ということだ。大人しく引き渡すならここを通してやろう」
怒った孫堅が黄蓋に出陣を命じれば、蔡瑁が薙刀を手に迎え打つ。数合せずして黄蓋が鞭をふるって蔡瑁の胸当ての中央を打ったので、蔡瑁は一目散に逃げ帰った。孫堅軍は勢いに乗って襲い掛かり、国境を越えて進入した。
その時、山の向こうから銅鑼(どら)太鼓の音が一斉に鳴り響いた。劉表自らが軍を率いて現れたのである。
孫堅が馬上より挨拶して、
「劉表殿は何故袁紹の言葉を信じて隣郡であるわたくしどもを傷つけようとなさるのか」
と言えば、劉表も黙ってはいない。
「貴様が玉璽を隠したのは、謀反しようとの下心からか」
「わたくしがそのようなものを持っていたら、首を斬られて死ぬでしょうよ」
「その言葉に偽りが無ければ、軍の荷物をわしに検分させろ」
孫堅大いに怒って、
「貴様、何を根拠にわしを侮辱するのだ」
と孫堅が怒って兵を進めると、劉表が引き下がったので、一気に突破しようとすると、両側の山陰より伏兵が現れ、背後からはかい越、蔡瑁が迫ってくる。孫堅は逃げ場を封じられ、真ん中に閉じ込められた。さて、孫権はこの危機を如何にして乗り越えるか。それは次回で。