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趙雲袁紹を見限り、公孫さんに就く

その言葉が終わらない内に、文醜が馬を飛ばして槍を突きつけた。公孫さんは文醜と切っ先を交えたが、十合あまりして敵わず敗走した。文醜は勢いに乗って追いかけ、公孫さんが陣中へ走りこむのを追って本陣に突入し、縦横無尽に駆け散らす。公孫さんの勇将四人が一斉に迎え打つが、文醜にはまるで敵わない。文醜はひたすらに公孫さんを追いかけ、公孫さんは山間を目指して逃げ出した。
「潔く馬を下りて降参せよ」
文醜が大声で叫びながら追いかければ、公孫さんはなりふり構わず逃げ惑う。やがて公孫さんの馬がつまづき、もはやこれまでというところで、一人の若武者が飛び出して、槍を持って文醜に突きかかった。公孫さんが見ればその若武者は威風堂々と文醜と激しく打ち合って、五、六十合打ち合っても勝負が見えない。そこへ公孫さんの部下が救援に駆けつけたので、さすがの文醜も馬首を翻して逃げた。その若者もあえて追おうとはしない。公孫さんは急いで若武者のもとへ行くと、名を尋ねた。若者は頭を下げると、
「それがしは姓は趙(ちょう)名は雲(うん)、字は子竜(しりゅう)と申す者です。袁紹の配下でしたが、袁紹に忠義と救民の心が無いことを見て、彼を棄てて公孫さん殿の御前に参ったものです」
公孫さんは大いに喜び、帰陣して陣を立て直した。

 

次の日、公孫さんは軍を配置した。軍馬五千余頭はほとんど白馬である。これは公孫さんが好んで白馬に乗り、「白馬将軍」と呼ばれた由来である。
袁紹は顔良、文醜を先鋒として、自らは後詰にひかえた。
公孫さんは趙雲を部下に加えたばかりでその心中は計り知れないので、一隊を授けて後詰をさせ、自らは中郡を率いた。
まず袁紹の軍が石火矢を合図に一斉に射掛けた。すると公孫さんの大将が太鼓を鳴らしてどっと弓兵隊へ襲い掛かる。しかし目前に迫った時に八百の石弓を一斉に射掛けられ、慌てて逃げようとしたところを袁紹の大将に切り倒され、公孫さんの軍は大敗した。公孫さんが逃げようとするとひたすら袁紹の大将が追ってくる。あわやというところで趙雲が立ちはだかり、馬を躍らせて大将に打ちかかり、数合もせずに突き殺した。趙雲はただ一騎で袁紹の軍中へ飛び込み、右に左に突きかかり、まるで無人の地を行くがの如くである。公孫さんも軍を率いて取って返し、趙雲の勢いに乗って敵をさんざんに打ち破った。

 

さてその頃、袁紹は公孫さんが逃げ惑っているとの報告を受け、小隊を率いて田豊とともに観戦に乗り出し、
「公孫さんは能無しじゃのう」
と笑い飛ばした。そこへ、突如真正面に趙雲が躍り出た。